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「湯ばんと」その3
2007.12.05 |Category …『ゆけむり』 かわら版
昨日の「湯ばんと」講義の続きで歴史編でございます。まず「和倉」という地名についてですが、「涌浦」⇔「湧浦」→「和倉」と変遷しているようです。「涌浦」の前に「南湯浦」と呼ばれていた頃もあつたそうです。元禄期に現在の「和倉」に変わった当初『お湯が涌く浦』という由来が伝わらなくなるということで、陳情が多く寄せられたそうです。しかし今日になってみますと、「和(なご)む」と「倉(くら)」の「和倉」のほうが自然に感じられるようになってきた・・・との声が地元ではほとんどのようです。今回勉強させて頂いて、地名の漢字がもたらす視覚的な影響と言うのも否めないものだなとあらためて実感いたしました。
〜江戸から明治にかけての多田館(現在の美湾荘)〜
その他、歴史の中では明治時代の1881年ドイツフランクフルトで開催された鉱物学博覧会に於いて和倉温泉の源泉が世界三等鉱泉に輝き、1909年には当時の皇太子(後の大正天皇)である東宮殿下が温泉に入ることを目的に和倉入なさったそうです。当時その時の為に建造された「御便殿」や「仮御座所」が、現在も(温泉街に中心部ございます)青林寺敷地内に保存されているそうです。
さて、話はがらりと変わり内々の話で大変恐縮ですが、今日は美湾荘の東京営業所、名古屋営業所の面々がそれぞれの方面から団体のお客様と一緒に現地にまいりまして(偶然!にも同じ日に)、館内も大勢のお客様で賑わっておりますが、事務所の中も賑やかで、何時もとは違う雰囲気の一日でございました。
〜江戸から明治にかけての多田館(現在の美湾荘)〜
その他、歴史の中では明治時代の1881年ドイツフランクフルトで開催された鉱物学博覧会に於いて和倉温泉の源泉が世界三等鉱泉に輝き、1909年には当時の皇太子(後の大正天皇)である東宮殿下が温泉に入ることを目的に和倉入なさったそうです。当時その時の為に建造された「御便殿」や「仮御座所」が、現在も(温泉街に中心部ございます)青林寺敷地内に保存されているそうです。
さて、話はがらりと変わり内々の話で大変恐縮ですが、今日は美湾荘の東京営業所、名古屋営業所の面々がそれぞれの方面から団体のお客様と一緒に現地にまいりまして(偶然!にも同じ日に)、館内も大勢のお客様で賑わっておりますが、事務所の中も賑やかで、何時もとは違う雰囲気の一日でございました。
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